カフェ・エムズ

Cafe M's店長紹介

オーナーよりの挨拶


夫婦で仲良く助け合ってます!



   9周年を迎えて

 いよいよ10年目に入ったと思うと、さすがに感慨深いものがある。
開店当初はこの場所・この店で、どの程度お客さんが来てくれるのか、
大した見通しも無く、やって見るしかないというのが実情だった。
それだけに、販売できる物は何でも売ろうと考え、珈琲屋らしくない販売品目でも扱った。ある日開店準備作業中に、店の前を通る幼稚園児が「ここはケーキ屋だよ」と話す声が聞こえた。それまで私は誰にも詳しく店の説明をしておらず、誰からそう聞いたのか不思議に思い、一瞬外に出て訂正したいとも思った。
 しかしそれと同時に、たとえ不本意でも、私が誤解だと思っても、幼児でさえ知るほど噂は広まっていると気付いた。その宣伝効果は大いに期待できるので、開店後の来店経験が増えれば、次第に珈琲専門店と認知されるだろうと割り切った。専門店らしく豆の挽き売りもすると、自分では意気込んで決めたが、さすがにいきなり毎日珈琲豆が売れるとは思えなかった。

 私は大した見通しも無く店を始めたのに、何としても最低10年は営業したいと思った。
9年前に私がこの土地に戻った大きな理由が、いずれは老いた両親の世話をすること。まずその準備段階として、時間が自由に使える自営業で生計を立てるのが最適だと考えていた。だからたとえ確たる見通しが無くても、方法は良く知っているこの業種でやり切るしかないと思った。今のところ10年間の営業は実現できそうに思える。これまでの9年も様々な紆余曲折があり、決して順調とは言えなかった。しかし今10年を目前にしながら、この先は更に大きな波乱がありそうな社会情勢である。想像を超える大きな世の中のうねりを思うと、まさに荒海に小舟の光景が脳裏に浮かぶ。それが私を一層頼りない心境にさせるが、いつでも目の前の一歩を踏み出すことはできる。

 手探りで始めた当初は案の定、珈琲豆の挽き売りは殆ど無く、週1回思い出したように売れる程度だった。その代わりに売れたのがケーキの持ち帰りか、或いはランチのピザだったかも知れない。とにかく毎日が慌ただしく過ぎ、落ち着いて何かを考える暇も無いまま、初めの数か月は娘を含めた家族3人でやりくりした。やがてオープン景気が終わって店も一段落し、娘が営業から抜けて夫婦2人になっても、ピザとケーキの人気は依然根強かった。

 この頃の私はその日の営業が終わると決まって、翌日の仕込みにピザ生地を作るか、或いはケーキを作るかで悩んだ。両方とも仕込めれば理想的だが、それでは自分の寝る時間が無くなるので、大抵はどちらかひとつに決める必要があった。しかし開店後日が浅く、十分なデータも無いので、勘だけで仕込み、翌日不足することもあった。それが嫌である晩時間を掛けて両方仕込み、翌朝寝不足のまま営業を迎えたが予想は外れ、仕込んだ材料は使わず、結局くたびれ損に終わった経験も。そんな訳で、いつも何か不足する恐れを持ちながらも、有効な決め手が無く、毎朝時間切れで営業に入ってしまう自分を責める気持ちもあった。

それでも機会があれば売上を伸ばしたい考えは強く、年末には和歌山の有田蜜柑を10キロ箱で販売し、定休日に夫婦2人で近隣住宅へのチラシ宅配も行った。開店前からの構想だった珈琲教室は、店の珈琲に自信があったので、やがて予約申し込みは増えると思ったが、開始するきっかけが無いまま1年を迎えようとしていた。そんな時偶然、公民館で珈琲教室の公開講座を持つ機会に恵まれた。予想以上の申し込み人数で積み残しもあり、潜在的希望者の多さに気付くとともに、今後の開催にも見通しを得た。それ以降は毎月店で教室を開催したが、珈琲に特に力を入れたのは開店以来これが最初だった。

 そうは言っても、珈琲教室の開催を何に結び付けるかという、目的意識が当初からはっきりしていた訳ではなかった。まずは月1回の教室に予約申込みがあって無事開催でき、参加者が喜んでくれれば良いという程度だった。現在のような形式・内容になったのは、雑誌「オセラ」に珈琲教室の紹介記事を載せて頂いた頃からだった。「原則1回参加の淹れ方教室」で、何を理解してもらい、何を持ち帰って欲しいのか、この店で伝えられる事は何かを考えた結果、当店の道具と豆で実技を試すのが早道と気付いた。教室の進行内容を組み直した経験から、店で使用している道具の長所や、焙煎豆の鮮度維持の重要性が再認識できた。説明でも実例を見せて効果を高めるようにした。その結果現在は教室開催だけに拘らず、来店したお客さんが知りたい内容をミニ教室の形で、営業中に短時間で行なえるようになった。

 珈琲に力点を置く営業に、一層集中し始めたのが東北大震災以降だった。

これ以降ランチを完全予約制にし、長期の売上低迷はあったが、ここから売上の構造改革に乗り出した。珈琲豆販売中心の業績に切替えようと、豆の特売を月
2回に増やし、珈琲教室も昼と夜の月2回開催とした。この頃はまだ漠然とではあるが、珈琲豆の売上シェアを4割以上にしたいと考えていた。それには何より珈琲専門店としての認知度を高める必要があり、ここから実に色々な方法を試す期間になったと思う。新聞折り込みチラシで告知し、10月にアニバーサリー・ブレンドを発売するなど、従来に無かった活動が効果的だった。また「春の珈琲豆感謝セール」と銘打った、秋に並ぶ2つ目の定番セールが定着し、現在は豆販売を増やす上で両輪の働きをしている。当時目指した珈琲豆売上シェア4割は、その後5割に上方修正したが、来年度は更にそれを上回る6割に設定するのが現実的だと考えている。

当店にとって不況の始まりは08年のリーマンショックだった。その回復途上にあの大震災があった。震災以降の落ち込みは、ランチを予約制にした影響が大きかった。そして今年は更に熊本の震災に加え、三菱自動車工業のデータ不正改ざん問題に端を発した、下請け企業切り捨てに近い操業停止があった。不況の色が次第に身近でかつ深刻に表れて来た。更に直近の鳥取地震は南海大地震の前兆とする説もある。そうでなくてもこのところ日本では、長期に亘り家庭の年収が下がり続け、若年層は安定雇用の仕事に就けず、少子高齢化による人口減少と消費の低迷が社会問題になりつつある。そんな中で現在の年金受給者が今後受け取る年金額が減少するなら、日本社会を構成するあらゆる階層で収入が減り、この先景気も一層落ち込むだろう。

格差社会の先駆けと言われる米国では、格差拡大への国民的不満に乗じて支持層を拡大したトランプ氏が、不人気でも本命視されたクリントン氏を破って新大統領となった。日本ではたとえ格差が今以上に拡大しても、社会の革命的変化が一朝にして起きるとは思えない。日本の報道は米国で起きた民衆ブームのように伝えたが、実態は英国のEU離脱と共に壮大な社会実験の始まりとも見える。こんな時期に日本政府が、TPP関連法案の国会審議と米国の説得だけに拘っていると、あっと言う間に国際社会で立ち遅れ、大戦前のように何処の国からも相手にされない孤立を深めるように思う。

フィリピンのドゥテルテ新大統領が、登場するなり反米・親中に舵を切ったかのような日本の国内報道は、今思えば事の本質を外して感情的に偏った誇張だった。彼は国際社会の最新情報に基づいて、真の国益を得るために厳しい決断をしたと思える。それほど日本人と日本の社会は国際情勢の変化に疎く、国内で何とか生活できる間は問題を先送りし続け、目前の重要な現象を決して緊急課題とは見ず、真剣な対応を怠っているように感じる。これこそいわゆる平和ボケと称される現象だと思う。東京五輪開催や豊洲への移転問題よりも、目先の国際社会で存立基盤が揺らぎかねない憂慮を伝え、より重大な問題提起と提案をすべき時と思われる。

翻って、私がここに戻った理由は、歳を取った両親の世話をするためだった。幸いこの9年間は両親とも健康であり、急な介護などの必要が無かったので、私はこれまで店の経営に集中できた。しかし両親の年齢から考えても、ごく近い将来は確実に環境が変わるだろう。その時店の営業は現状のままの態勢では無理がある。つまり何を残して何を捨てるかの選択が、この先にこそ必要になって来る。最終的には私自身の年齢や体力的問題で、店を廃業する日が来るとしても、その前に介護問題が絡んで幾つかの段階があるだろう。今後は当然ながら業務の拡大は無く、縮小あるのみと思われる。私の気持ちに置き換えるなら、いつ何をどこまで諦めるかという表現にもなる。ただいきなり両親の介護に入る前に、現実的な農業後継問題がある。狭いながらも田畑があり、それをこなしながら店も営業するとなれば、実現可能な方法で仕事を整理する必要がある。そう考えると現状の店の不振とか、不況で客数が減ったとかの結果、努力しないで業務削減が自然にできた幸運もある。

 私は開店当初から売上拡大に憑りつかれ、マイナス実績には罪悪感を持っていたと思う。私が高度成長期に育ったせいか、外食企業で長期に亘る仕事をした後遺症なのか分からないが、局面が変わる時には、まず拡大路線を想定する傾向が強いようだ。しかし高齢者になれば、運動に体が付いて来ないのと同様に、今後の私は気持ちの持ちようを変えて行くのが現実的なのだろう。
私にとって未経験の生き方でも、意識しながら試して行く必要があると思う。
今後は店の業務がひたすら縮小する中で、日々の満足度をどの分野で高めるか、総合満足度の考え方をいかに学ぶか、これが恐らく私自身の健康寿命も左右する重要案件と言えよう。現状、開店
10年に満たない半端な時期に、店の営業体制を一部変更する気になった理由の一端でもある。
                                                2016.11.13 横田 正義

    





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